現在、インターネット上に公開されている映像の中で、支部に関連するものをご紹介しています。
尚、プライバシーの観点より、支部で撮影した映像はインターネットに公開しておりません。
現在稽古に通っている子供達の稽古風景などの映像の取り扱いには特に注意を払っています。
ここでは大道塾に関する情報や、支部責任者に関する映像など、既にネット上に公開されていてものの中で、
支部紹介に有用な情報に限定しています。
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2015年公開
大道塾発足30年を記念して総本部が発表した映像です。
大道塾発足から、現在に至るまでの色々な歴史が紹介されています。
「空道」の名称を使うに至る経緯などの歴史的な説明があります。
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1996年頃
上記の映像と重なる部分もありますが、塾長自らが詳細に基本のご説明などをされている映像などがあります。
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1996年頃
1996年頃の映像です。大道塾が「格闘空手」の名前で売り出していた時期で、
総本部が作成した『格闘空手 北斗旗への道2』という教則ビデオの内容です。
私も撮影協力として参加しており、映像の中盤に技の説明をするいくつかの映像とインタビューシーンがあります。
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1995年11月
1995年11月の全国大会無差別大会の試割り演武の映像です。
塾長が氷柱12段割りに挑戦された時の試割り演武の模様です。
改めて見てみると、実に豪快ですね。
この時の私は、一選手として会場におり、塾長の気合に呼応するように、舞台の下で懸命に掛け声をかけていました。
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1995年某月
極真武道会代表のジョン・ブルミン先生が大道塾総本部に来館。
ヨーロッパの極真系団体、極真武道会という団体の代表であるジョン・ブルミン先生が総本部に来られた時の映像です。
この先生は、若い頃に日本で極真空手や柔道など様々な武道を学ばれ、母国のオランダに戻られてからは、極真会館の
オランダ支部をしばらく運営されていて、その後、大道塾に似た総合的な武道団体の確立を目指して極真武道会という
団体を立ち上げられました。
私が戦った、オランダ人のセム・シュルト選手は、この極真武道会に所属する選手でした。
この大道塾との交流をもとに、セム・シュルト選手が北斗旗に参戦することになります。
かなりのご高齢で、膝が悪そうなご様子ながら、そのとても重たそうな大柄な体躯を道着に身を包み、弟子に任せることなく、
しっかりと自らの体を用いて、技を披露されているその姿勢には頭が下がります。
技の説明をされているその視線や熱意、そしてその全体の姿勢から、武道家であるという自信と誇りを感じることが出来ます。
後のK−1や総合格闘技などで活躍する多くのオランダ出身の選手が、
この極真武道会のジョンブルミンさんの元から出てきているそうです。
この時、私も稽古に参加しており、加藤師範と組手を行っている映像が映っていましたのでご紹介しておきます。
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1991年頃
大道塾がテレビに出演し、団体の紹介を行った時の懐かしの映像です。
タレントの大竹まことさんが司会をされている「PCランド」というバラエティー番組です。
私は、現在の行徳・中野支部の加藤支部長とテレビ撮影のスタジオ内で組手演武を行いましたが、この映像の中には含まれていません。
映像の中盤にある総本部の稽古風景の紹介で、号令をかけているシーンなどが放映されています。
私が23歳頃の映像です。
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1990年初旬
1990年代初旬頃の総本部の映像や教則ビデオの映像、練習風景などが紹介されています。
映像の中盤に教則ビデオ映像で技の紹介をしているシーンや、
1991年頃に、私が総本部の少年部指導を行っている頃の映像などが紹介されています。
この頃は、総本部でも基本の型練習などが行われていました。
現在は空道を名乗るようになり、試合用の組手中心の練習体形に変わったため、
総本部、および他の多くの支部では、少年部の稽古も大人と同じ、組手中心の稽古を行っています。
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1980年代 - 1990年代初旬
1980年代後半から1990年代代初旬頃の大道塾の紹介映像です。
大道塾の発足初期から活躍する軽量級の選手などが紹介されています。
稽古風景や試合の模様、インタビューなどがあります。
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2023/11/19
2023年11月19日に宮城県仙台市にあるカメイアリーナ(仙台市体育館)にて行われた、
全国大会の決勝リーグで審判員を務めています。
若手の総本部寮生の試合を裁く私も、30年以上前に寮生を経験しており、
時代の流れを感じています。
試合をしている選手たちとは、30数年の年齢差がありますが、懐かしい気持ちで審判員として、
同じ舞台に立っていることに、とても感慨深いものを感じました。
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2020/1/11
2020年1月11日に東京池袋にある、池袋スポーツセンターの武道場で行われた、支部長審査会の様子です。
私が六段の昇段審査に臨んだ時の、審査会の様子ですが、現在の塾長である当時の長田支部長が昇段審査を受験されており、
有名選手であった長田支部長の取材が「ゴング格闘技」という雑誌社より取材されたものです。
海外からも受験希望者が来日されており、私もウクライナの支部長や韓国の支部長、
また国内の支部長の方々と対戦いたしました。
往年の名選手であった長田支部長(現長田塾長)は、鋭くパワフルなパンチが現在も健在で、
相手をなぎ倒すような攻撃で、貫禄の組手を披露されておられました。
また、打撃ではなく、投げ技や寝技などにもしっかりと取り組んでおられる様子が、その
攻防の中に見られ、そつのないバランスと取れた完成度を見せられていました。
私も記事の最後の方で紹介されていますが、この日、何とか無事に、昇段を果たすことが出来ました。
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2013/2/10
2013年2月10日に東京池袋にある、池袋スポーツセンターの武道場で行われた、支部長審査会の様子です。
この日は私は受験者ではありませんが、海外の支部長さんたちが日本で受験なさるとの事で、
対戦相手としてお呼びがかかり、ご協力の為に馳せ参じた次第です。
対戦相手は、本日受験されたウクライナの支部長さん。サモヒン支部長です。私よりもいくつかお若いと思われます。
また、映像からはわかりにくいですが、並んでみると体格も私よりも一回りほど大柄で力強い方です。
そしてスタミナもかなりのもの。
審査の組手なので、攻防の時間はとても短いです。
当たり前ですが、海外の選手、特にロシア圏の選手やモンゴル、そして中東地域、の選手たちは実にパワフルです。
ある意味で日本以外の国々の選手は、皆一様に実に力強くて逞しいです。
先進国では競技や指導の体系が確立し、理にかなった緻密なトレーニングを積んでいるところは強く、また、
逆に途上国など、比較的貧しく国土が安定していない地域の選手たちの精神的な強さ、ハングリー精神の強さ、また、
その国の歴史上、守られた島国ではなく、戦いを重ねてきた大陸地域の方々、好んで肉食が盛んな地域などは、
非常に血気盛んな若者が多く、腕力の強いものが誇れる文化を持つ地域では、やはり相対的に実力が高くなる
傾向がありますね。
見方によっては日本選手は、ずいぶん緻密できれいな戦い方が出来ていますが、ややひ弱な感が否めません。
尚、支部長さん方は皆一様に実力がある、と思われますのでそうとは言い切れませんが、せめてパワーを
受け止める技術と、日々の研鑽努力は欠かせません。
自らの体をもってみなの見本となり、若い人たちを鍛えていきたいですね。
※ 支部長審査に限らず、支部内の行事や稽古風景の他、大道塾の映像全般に関して、
これらの映像をこうしたネット上に掲載することは禁止されています。
左記の映像は、ウクライナの支部長がウクライナからアップした映像と思われますが、
特別に許可されたものかもしれません。
総本部の許可を得ずに、映像をネットに掲載することは認められておりませんので、ご注意ください。
個人情報やプライバシーの観点から映像の掲載を禁止していますが、肖像権の問題等、
アップロードした個人の責任を問われる場合もありますので、関連映像をお持ちの方は、取り扱いには十分ご注意願います。
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2012年4月
2012年頃の映像で、 ワールドゲームズという連盟に大道塾の紹介をするために、
国会議事堂のすぐ隣にある衆議院第二議員会館の地下にある武道場で行われたデモンストレーションマッチの映像です。
ワールドゲームズ < 紹介ページ> は、
第二のオリンピックと呼ばれるほどの大きな大会を開催しており、
まだオリンピックに正式採用されていない数多くの団体が参加する国際的な競技会です。
そして、この大会をステップにオリンピックの正式競技を目指していきます。
時期、東京オリンピックに採用された伝統派の空手団体で構成する「全日本空手道連盟」や、
多くのフルコンタクト空手道連盟で構成する「全日本フルコンタクト空手道連盟」などが会員団体に名を連ねておりますが、
独特の組手スタイル(競技ルール)を持つ大道塾は、独自に『空道』という競技名を用いて会員団体に名前を連ねています。
私は、今回の団体の紹介演武の最後に、支部長代表という事で、現、吉祥寺の飯村支部長と模範演武としてのデモマッチを行いました。
デモンストレーションということで、付け焼刃ですが、その場で攻防全体の流れを決めて、
ストーリー仕立ての組手試合になります。
先輩後輩の関係から、私が負け役です。お互いに一度づつ投げ技から寝技への流れを見せ、
中盤、ハイキックをもらって私がぐらつき、
効果ポイントをもらって僅差で判定負けになるというストーリーで、細かい部分はやらせっぽく見えないようにアドリブです。
しかし審判員にその意図が伝わらず、審判員がポイントを取らずに判定で引き分けということになってしまいました。
(打ち合わせ不足です。)
過去のブログ記事でも詳しく紹介しています。
< ワールドゲームズ・デモマッチのブログ記事>
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2008/2/10
2008年2月10日に総本部道場で行われた、支部長審査会の様子です。
大道塾総本部のホームページの記事になります。
私が四段を受験した時の審査会ですが、中盤に組手審査の映像が少しだけ埋め込んであります。
映像の対戦相手は、現、三河豊橋の藤田支部長 < 紹介ページ> です。
リンク先の紹介文に、身長184cm93kgとありますが、さすがになかなかにパワフルです。
連続組手でこの支部長と「専門ルールの組手」、「基本ルールの組手」、「寝技ルールの組手」と合計3回行いました。
この日の受験者数が少なかったため、残念ながら対格差は加味されません。
この時、私は40歳での受験のため、合計7人組手になります。ちなみにこの日、横須賀支部の湯川師範も受験されており、
五段に昇段されています。
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1997年11月
1997年の北斗旗無差別選手権大会の決勝戦の様子が少し映っていましたので紹介しておきます。
この時期はまだ世界大会が開催されておらず、
「北斗旗選手権大会」 に全日本大会と世界大会の区別のなかった時代です。
海外の選手達も多数、この大会に出場してきています。
決勝戦までの対戦相手は、2回戦以降に新潟の岩木選手、三重県四日市の小川選手、青森の五十嵐選手、そして総本部の山崎選手と、
この大会以降にも北斗旗選手権大会で名を馳せ、後の世界大会でも活躍する有力選手ばかりで、
準決勝戦までに5試合を戦い、体力的にもやや疲弊気味。
決勝戦は延長戦を含めてフルに戦い抜きましたが、力の差は歴然としたもの。
当時で、身長210cm、体重110kgのオランダの格闘家、セム・シュルト選手。
173cm73kgの私の体格では、まるで大人と子供です。
映像には映っていませんが、攻防の中で、大内刈りで二度倒し、また別の寝技の攻防の中では、下からの腕ひしぎ十字固めで相手を仰向けに返し、
ある程度腕が伸びていいポジションまでいったのですが (通常ならばここで一本がとれる状態)、
長い脚で頭部を絡み取られて、肘関節を極めきれませんでした。
打撃はそのほとんどが不発で、どれも相手に有効打を与えられません。
ちなみに当時は映像にもある通り、身体指数差があるからといって、掴んでの打撃は制限されていませんでしたが、
現在は危険防止のため、一定以上の対格差を基準にして段階的に組んだ状態での打撃
(相手をつかんだ状態で、打撃による攻撃を加えること)は制限されていますので、
無差別選手権といえども、体重の軽い選手に対する安全性の確保と攻防が不利にならないための配慮がなされています。
左の紹介画面の写真は、私が遠間の低い位置から蹴り上げるように放った後ろ蹴りを、相手選手が前足でカットしているシーンです。
対戦相手のセム・シュルト選手は、昨年に続きこの 「北斗旗無差別選手権大会」 を二連覇しました。
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1997年11月
1997年11月に行われた北斗旗無差別選手権大会の紹介漫画です。
オランダの巨人、セーム・シュルト選手が大会二連覇を目指して出場してきた大会の様子が紹介されています。
大道塾総本部のホームページに掲載されている紹介漫画の、第31話です。
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1997年3月
昨年に続き、大道塾の他団体との対外試合の催しである、WARS(ウォーズ)Wの時の紹介漫画です。
東京都文京区の、後楽園球場の隣にある後楽園ホールで行われた催しで、相手方の総合格闘技ルールで、
相手方団体のジャッジ(判定)による試合になります。
この当時は、大道塾がまだ「空道」という名称を用いておらず、
「空手団体の代表として戦う。今最も勢いのある総合格闘技団体のトップ選手と、相手方のルールで挑戦。
相手の得意な寝技に対しても、あくまでも空手の打撃で勝負。」というムードの中での挑戦でした。
かなり不利な条件ながら、何とか試合に勝利することが出来、
団体の名誉を守るための一つの役割を果たせたのではないかと思います。
仕事上、練習環境を作るための環境作りが難しく、精神的にとても厳しい時期でした。
この年の秋の無差別選手権を狙っていた私としては、
67kgのウェルターの階級を維持する体重管理もとても厳しいものでした。
大道塾総本部のホームページに掲載されている紹介漫画の、第30話です。
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1996年11月
上記の続きの試合で本大会の4回戦目、ベスト8の選手紹介後の準々決勝戦です。
現、総本部の稲垣指導員です。こちらも身体指数(身長+体重の数値)差が20ほどあり、
その体格差をカバーできずにここで判定負けとなります。
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1996年11月
上記と同じく、1996年11月の大会で、ロシア選手との対戦です。
この時期はまだ世界大会は開催されておらず、大会には全日本と世界大会の区別がありません。
海外選手が頻繁に日本の大会に参戦をしてきている時期になります。
この大会の3回戦。ロシア選手のラフファイトに苦戦しています。試合後にインタビューのシーンがあります。
この映像は、当時販売されているビデオ映像の一コマです。
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1996年11月
1996年11月の北斗旗無差別選手権大会の映像です。
これは2回戦目の試合で他流派の相手選手とはやや体格差がありますが、
大道塾の選手として負けるわけにはいきません。
私が28歳の頃になります。
この大会は、オランダの巨人格闘家、セム・シュルト選手が初優勝した時のものです。
私は準々決勝戦で総本部の稲垣指導員に敗れ、7位という結果に終わりました。
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1996年9月
1996年9月に行われた、北斗旗無差別の関東地区予選の映像です。
映像は、元千葉支部で支部長をされていた方との対戦です。
とても大柄で非常にパワフルな戦い方をされる方で、この動画の最初に移っている相手選手の初戦の対戦では、
相手が一方的に打撃を受けて叩き伏せられているような、かなり激しい攻撃が見られます。
体格差に苦戦しながらも、延長戦の末に何とか勝星を得る事が出来た試合でした。
当時は「格闘空手」と表現される、荒っぽく打撃を中心とした迫力のある攻防が多く見られた時代でしたが、
当時の懐かしい選手が多く出場されていてとても思い出深いです。
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1996年2月
1996年2月に行われた、大道塾の他団体との対外試合の催しである、WARS(ウォーズ)Vの時の紹介漫画です。
これは、現在の大道塾総本部のホームページで紹介されているもので、
大道塾の活動にかかわる紹介を漫画で分かりやすく紹介して下さっている漫画家の協力によるものです。
支部責任者が紹介されている箇所がありますので、掲載しておきます。
残念ながら、相手方の格闘団体の試合ルールで行った戦いということもあり、負け試合の紹介になります。
因みに、左記のリンクの絵は、私の似顔絵だそうです。
大道塾総本部のホームページに掲載されている、紹介漫画の第27話です。
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1995年5月
1995年5月の北斗旗体力別選手権大会の映像です。
この年、私が軽重量級で優勝し、最優秀勝利者賞を頂いた時の映像です。
「最優秀勝利者賞」は、軽量級から重量級までの全階級の優勝者の中で、
一番成績の最優な者(試合におけるポイントの総獲得数の高いもの)に贈られる賞になります。
決勝戦は、「青い目の侍」と呼ばれる、現東北本部責任者のアレクセイ・コノネンコさんです。
ロシアから来日し日本で修業を積むアレクセイ・コノネンコ選手は、翌年にはこの体力別選手権で見事優勝を飾り、
その後、連続して全国大会の体力別及び無差別での優勝を重ねていき、
日本を代表する優秀な選手として長く北斗旗選手権大会に君臨することになります。
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