3.11

12年が経ちました。

当日、事務所で仕事をしていると ゴゴゴゴゴッーと音と共にドォーンと突き上げられる様な衝撃。
机上のPCや書類類が大揺れ。直ぐにドアを開け外を見ると、電信柱があり得ない揺れかたに。

家に電話すると中学生の息子がパニック状態。本棚や食器棚がかなり荒れているとの報告。
その後、しばらく電話は不通になり不安状態。
会社からは帰宅指示が出て、各社員 車に分乗して解散。電車は全てストップ。幹線道路は歩行者と車・バイクで大渋滞。停電で信号も機能せず、踏切も遮断されていたので一層渋滞が悪化。結局 自宅に着いたのが夜中過ぎ。

途中、情報が錯綜していたので詳しい状況が判ったのは翌日。
東北がとんでもない事になってる。

津波の威力をまざまざと見せつけられる映像。
為す術の無い状況が連日報道されていました。余震も続いていたので油断出来ない日々が続きます。

岩手県内の港近くで、実家が水産業を営む友人と連絡が取れたのが1ヶ月近く経ってから。
家族全員の無事は確認出来たけど、全てを流されてしまった。
代々その土地で育って生活してきた形跡が、物凄い力で。
電話での開口一番『全てが無くなったよ』と、絞り出していた。

改めて、多くの被災者の方々に心よりご冥福をお祈り致します。

管理人 2023/03/12(Sun) 08:01 No.1994
Re: 3.11
その友人が、地元の復興写真集を送ってきてくれました。

特に被害が大きい地区だったので、仮設住宅から出られたのも被災してから10年近く経ってから。

天災の多い 我が国 日本

教訓は忘れずに

管理人 2023/03/12(Sun) 08:15 No.1995
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